明けましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い致します。

この度、我が母校、法政大学建築学科の同窓会(メルマガ連載)によるリレーエッセイに記事が掲載されました。

http://www.hosei-archi-ob.sakura.ne.jp/essay/127/no127.html

 (本文より抜粋)

大学卒業後30年間、建築土木の工事や設計に携わり、こうして振り返るのは初めてかもしれない。今でも憶えているのは小学3年の頃、大工になりたいと思った。学校の帰り道、かんなで木を削る匂い、建築中の現場の横道を通るのが好きで、廃材や大鋸屑をもらって帰るのが楽しかった。実は小学中学時代はまるで喋らない人間、人の話を聞くのが好きで数学だけ気合い入れて勉強していた。

いま思うと、あの頃から聞き手にまわるというのが仕事(構造設計)の基本をつくっていたのかもしれません。

(中略)

当たり前だが会話間で口から発する言葉の重みは大きい。相手の感性やテイストも伝わってくる。小さな積み重ねだが、これからもこのコミュニケーションを大事にしていきたい。現場に行ったら必ず職人さんに声掛け、なんでもいいから話を(笑)職人さんは匠の技を教えてくれて、それがまた記憶に残る。現場は初心に戻れる場所でもある。

職人技といえば、三年前、小林一元先生、山中信悟氏と保育園幼稚園の設計に携わらせて頂きました。園児250人の命を預かる園舎の設計で、小林先生は園児達の安全を第一に、子供たちの行動に想像を膨らませ、100%国産天然無垢材で木を活かした空間づくりの意匠、腰屋根による通風性、角垂木を用いた屋根、曲げ強度が高い太鼓梁を取り入れた構造計画で設計した。
設計メンバー4人で想像するのが楽しかった。部材検討に検討を重ね、夜おそくまで語り合い、思い出に残る楽しい仕事をさせて頂きました。まさに構造設計はコミュニケーションだと言える感慨深い作品です。

(中略)

お客様から頂いた言葉、建物の設計も重要だが、「どこの誰とどのメンバーで仕事をするのかが一番大事だ」と仰った。実にそう思う。いままで、意匠設計者が建築主とのコミュニケーションを担っている存在で、構造設計者は裏方だと思っていましたが、最近お施主からの構造指名が多く、熱く語っています。40年前大工さんになりたかった自分には想像できませんね。

(中略)

令和二年、コロナ禍の某日、節目の定期講習へ向かうなか久しぶりの同期から、このエッセイ依頼の連絡あり、節目の日に依頼が来るのも何かのご縁かと思う。このエッセイを通じ、周りで支えてくれた人達のこと思い出し、自分自身振り返りの機会を頂いたことに感謝します。

令和三年、大変な状況が続くかと思いますが、住宅・建築思想を変えてくれる時代になりそうです。